和装礼服/喪服の買取相場は?良心的な業者さんなら

和装の喪服は買取ってもらえる?
相場はどれくらい?

着物や和服の買取があるとはいえ、喪服となると心配ですよね。
買取り不可の業者さんも実際にはあります。また、ちいさな再利用ショップだと極わずかの金額にしかならぬことも。

喪服の買取相場は?業者

状態やブランド、モノなどにもよりますが、正絹の喪服で1000円前後の価格が現実的な金額な場合もあります。

喪服の反物は?

喪服の反物も着物と同じで、買取不可もあれば業者さんを選べば良心的な金額を提示してくれるところも。

結局どこがオススメなの?

オススメは、着物や和服を専門的に買取ってくれる業者。
かつ、全国展開している業者さんだと安心。中古やリサイクルの喪服・礼服を狙っている人もいるので、需要はあります。

下記ページで紹介している会社では、査定金額はすべて無料で着物の価値を評価してくれる業者さんです。

>>喪服・和装礼服の買取オススメ業者さん

『喪服』面白小話と歴史

少し前に、歌舞伎役者の中村勘三郎さんの葬儀の時に奥様が白い喪服を着用されたのが話題でしたね。

この白喪服は「二夫を交えず」との意味で、故人となった夫以外に夫を持ちませんとの心情を表すとされています。

現在では黒喪服になっていますが、日本では白→黒→白→黒と変わっていたという歴史がありますが、勘違いから始まった面白い事実もあります。

今回は、この喪服の歴史についてです。

勘違いから始まった喪服の「黒」

718年養老喪葬令が出され「天皇は直系の二親等以上の喪には『錫紵(しゃくじょ)』を着る」と定められました。
これは唐が「皇帝は喪服として『錫衰(しゃくさい)』を着る」と記載されてあるのを真似したものと考えられます。この時に勘違いが起こります。

唐でいう「錫」は、灰汁処理した目の細かい麻布(白い布)のこと。しかしこれを金属の『すず』と解釈してしまいました。すずの色、薄墨に染めたのです。

平安時代には、色合いも濃くなっていきます。喪に軽い重いが定められ、この考えによって色が決められました。その後、平安後期に一般的に黒が着用されました。

室町時代には白色に

白が復活したのは室町時代。
江戸時代は水色が登場したことがあるも、基本的には白が続きました。明治維新を機にヨーロッパ文化を取り入れる様になり黒となっていき現在に至ります。
ちなみに、明治維新の黒喪服は和装では白だったそうな。

時代の流れから再度「黒色」に。

日清戦争・日露戦争と大きな戦争が重なると、哀しいかな葬儀も毎日の様に行われます。白は汚れが目立つものの、黒は目立ちません。
西洋化が強くなり、貴族達から黒喪服となっていきました。第二次世界大戦後にはしっかりと西洋化、和装喪服も黒色へと変わっていきます。

婚礼から葬式、死に装束としての流れがあった白無垢

日本女性は、婚礼の白無垢を丁寧に保管し、最愛の人がなくなるとその白無垢の袖をつめ喪服として着用、最期には死装束として黄泉の国へ旅立つ服となるのです。

喪服の前後左右にある家紋の意味

昭和時代、喪服は嫁入り道具として、女性は家紋を入れた喪服を携えて嫁いでいました。
背中にはご先祖様の家紋、両胸には両親の、両袖には兄弟・親戚の家紋がありました。この、前後左右にある家紋には「娘をお守ってくださるように」との願いが込められているのです。

喪服とは

喪服は本来、19の厄年で厄払いとして用意される服でした。
紋は魔除けの意味、近付く邪気を祓うお守りということです。元は家紋は身分の高い家だけしか認められていませんでした。しかし明治時代には庶民にも許可され、庶民も家紋を付け始め、ステータスにもなっていきます。

嫁ぐ娘に家紋付きの喪服は「きちんとした家紋のある家系の娘」との意味合いがあっると同時に、「娘を大事にしてください」との親の願いも入っているものでした。

まとめ

喪服も色々な歴史がある和服なのです。
2017年では黒が当たり前ですが、こういった歴史を踏まえると、中村勘三郎さんの奥様があえて白を着られた意味がきちんと分かりますよね。どれだけ亡くなった方がその人にとって大切であったか、理解できるというものです。